私の子供が亡くなってしまった理由

常位胎盤早期剥離でした。

妊婦健診で常位胎盤早期剥離の説明はありましたので、知識として知ってはいました。しかし、『大量出血を伴う』と思い込んでいました。

2020年6月29日。
妊娠34週で、ちょうど産休に入る日でした。

腹痛と腰痛で、深夜何度も目が覚めていました。
出産が2回目だったので、「陣痛はこんな痛みではないから、前駆陣痛かな?クリニックに行っても一度帰らされるかもしれない」と思い込みました。

痛みにほとんど波がなく、結構痛い……ずっと痛い……そろそろクリニックに連絡しようかなと一度夫を起こしましたが、「でも陣痛はこんな痛みではない(もっと痛い)し、出血も破水もしてないから」と伝えてしまい、本陣痛の痛みを待って、耐え続けてしまいました。

明け方、とても痛くなり何かがおかしい……と、常位胎盤早期剥離が頭をよぎりましたが、出血していないのでやはり違うと思い込み、でも耐えられないくらい痛くなったのでクリニックに連絡をしました。
「すぐ来てください」と言われたので娘を起こし、寝室からリビングに移動すると、急に歩けないほどの痛みになりました。床に横たわりながら何とか着替え、ほとんど這いながら夫の車に乗りました。
乗車直後に痛みで嘔吐し、何度か吐きながらクリニックに向かいましたが、それでも私は「少し早いけど(週数が) 、もう生まれてくるんだ」と思っていました。

クリニックで車から降ろしてもらい、夫は娘に朝食を食べさせるために帰宅しました。保育園の登園時間になれば送って行き、コロナ禍で立ち会い出産は不可だったので、私からの出産報告を待つ予定でした。

ところが、助産師さんがおこなったNSTで胎児の心拍が拾えないと言われ、「私のやり方が悪いのかも。先生呼んで来ますね。」と個室で1人待っている間も、まだ「これから出産する」と思っていました。

診察室に呼ばれ、先生のエコーで「赤ちゃんの心臓止まっちゃってますねー」と宣告されたとき、間違いなく人生で1番の衝撃を受けました。
念のため経膣エコーで確認すると言われて移動するときは立ち上がれず、助産師さんが肩を抱いて支えてくださいました。精神への衝撃が大きく、この時はお腹や腰の痛みはもう感じていなかったように思います。

これから経膣分娩をすると言われたので、待機している間に、夫・実家・職場に電話をしました。
涙もほとんど出ず(込み上げるが耐えられる)、しっかり産んであげないと!と考えていました。

はじめての出産のとき、覚悟していたよりも何倍も痛く、何度も途中で心が折れました。しかし、今回は胎盤剥離の痛みが加わっているので、陣痛に波がなく、ずっと痛いので本当に大変でした。しかも、『この痛みに耐えて出産しても、お腹の子供はもう亡くなってしまっている』と頭では分かっているので、、、

コロナ禍で本来不可の立ち会い出産が特別に許可され、夫も立ち会いました。私があまりに痛がっているので、もうお腹切って出してあげて欲しいと思ったと言っていました。


出産後、私への処置も終わり、病院で意識がしっかり回復してからは、最初に痛みを感じたときにすぐクリニックに行っていれば……という後悔と、窒息死なんていう亡くなり方をした沙夏ちゃんの苦しみを思い、涙がずっと止まりませんでした。

妊娠出産が本当に奇跡で、当たり前では無い事を知っていたのに、1人目が無事に生まれたので、2人目も当たり前に生まれて来ると思い込んでいました。

クリニックで、いつから胎動が無いか聞かれたときも、答えられませんでした。胎動を気にして生活していませんでした。

この苦しみから抜け出せたきっかけは、『死産後、言われて嬉しかった言葉』というタイトルでまた別記事に書きますね。