私が死産したときの話


当時SNSに投稿した文章のままです

↓↓↓

2020年6月29日 午後0時50分
身長44.0cm、体重2344gの二女を出産しました。

名前は【吉田 沙夏(さな)】です。

分娩所要時間は8時間21分。
経膣分娩しました。
しかし、何の異常もなく元気に育っていた可愛い沙夏ちゃんは私のせいで死んでしまい、妊娠34週での死産となりました。

今回も妊婦生活はとてもしんどかったですが、今から考えれば、とても幸せなしんどさでした。

産後のことはほとんど覚えていませんが、医師、看護師、助産師、夫……いろいろな方に状況を説明していただき、みなさまにご報告出来る状態にまでココロも少し整理出来ました。

出産直後、私はあたたかい沙夏ちゃんを少し胸に抱かせてもらいましたが出血が止まらず、夫が助産師さんと一緒に沐浴をしに行っている間に意識を失っていたそうです。
クリニックでは産後2016ml出血し、救急搬送された先の病院で処置中にさらに2リットル以上出血し、合計4リットル以上の出血をしてしまった結果、血圧は50、ヘモグロビンは5、血小板も4まで下がりましたが、たくさんの輸血をしてもらい、私だけ助かりました。
(輸血量は赤血球18単位、新鮮凍結血漿12単位、血小板20単位と書いてありました)

意識は朦朧としていましたが、「吉田さーん!分かりますか?目あけて!」とたくさんの人に囲まれて何度も何度も呼ばれていた事を覚えています。日勤の時間帯だったので病院にたくさん人がいて良かった事と、手の空いている助産師さん全員集合だったので助産師さんだけで9人くらいが処置にあたってくださったとあとで聞きました。

クリニックでは、助産師さんが「赤ちゃん生まれたよー!分かるー?」と沙夏ちゃんを私の顔に近付けてくださっていて、そのときはがんばって目を開けようとしていたと夫が言っていました。

救急搬送後の処置中、夫はたくさんの同意書にサインをしながら、「出血が止まらないので子宮を摘出するかもしれない」と説明を受けていたそうですが、私の命とともに子宮も残りました。

その後意識も戻りICUに移されて入院となりましたが、出産した場所と入院先が違うので沙夏ちゃんとも会えず、夫とは少しだけ話す時間をもらえましたが、コロナの影響で他の家族には会えず、出産当日の夜は訳の分からないまま、私は病院のICU、沙夏ちゃんはクリニック、夫は私の急変に備えて自宅待機、長女(2歳)はおばあちゃんのおうち…と、みんな離れ離れで過ごしました。
沙夏ちゃんが亡くなったという実感は無いままで、そばに居られないことがただただ淋しくて悲しくて、、、

誰にどうお願いしても沙夏ちゃんには逢えず、私が倒れてしまうという理由で火葬の立ち会いも許可されず、小さな子供は火葬後遺骨も遺らないかもしれないと言われ、、、
自分のココロをどうしたら良いのか分からず、ぐちゃぐちゃのまま、眠ることも出来ず、罪悪感で…私だけ生きていて良いのかという気持ちが大きく、誰が来てどんな処置をされてもただただずっと泣いて過ごしました。

しかしそんな私を見かねて(?)、翌日の夕方、突然先生から「明日の検査結果次第で退院する?」と……!
もうね、その言葉で急に元気が出ました!

退院直前まで寝たきり生活だったので、尿道にカテーテルを入れたまま&点滴をしていましたが、結局出産2日後には退院させていただき、その日の夜家族で過ごす時間をもつことが出来ました。

沙夏ちゃんはただただ可愛く、普通に赤ちゃんの匂いだけがしていて、抱っこしまくりチューしまくり匂い嗅ぎまくりで一晩過ごし、長女も「可愛い」と繰り返しながら、ずっと一緒に遊んでくれました。
亡くなっているのでもちろん体温はもう無いのですが、私が対面したときには死後硬直ももうしていなかったので、カラダが冷たいのも「寒いのかな?カラダ冷えてるなぁ」としか思えず、亡くなっている実感のもてないまま朝を迎えてしまいました。

火葬場への出発時間リミットで、納棺しないといけなくなっても、さっきまで家族で幸せに過ごしていたのに急に遺体扱いされることに違和感と嫌悪感があり、私は棺に入れてあげることが出来ませんでした。
火葬場で最後に棺の蓋をしめるときも、沙夏ちゃんが本当に亡くなっているのか疑問で、火葬なんてしてしまって良いのかと最後の最後まで思っていたので、同じ気持ちなのに火葬のボタンを押してくれた夫に感謝しています。

結局遺骨はしっかり綺麗に遺ってくれて、骨壷パンパンで連れて帰れました。
手形足型も取れたし、家族写真もたくさん撮ったし、初乳もあげられたし、髪の毛とへその緒も遺し、沙夏ちゃんを包んでいたタオルは沙夏ちゃんの匂いがするのでジップロックに入れて手元に残し、納棺した花の一部を押し花にし、思いつく限りの思い出を残すことが出来ました。そんな時間をくださった病院スタッフ&先生に感謝しかありません。退院させていただき本当にありがとうございました。
また、沙夏ちゃんのおくりかたと供養の仕方について、私のしたいようにさせてくれた家族にも感謝しています。

今、私は普通の産後と同じように、沙夏ちゃん(の遺骨)と里帰りをし、実家でカラダを休めています。
これからももうしばらく、SNSや新聞テレビなど、世間からは少し離れてゆっくりしたいと思います。

涙はこれからも一生出ると思いますが、ココロがぐちゃぐちゃだったところは脱し、沙夏ちゃんが亡くなってしまったことは理解しました。
私のせいで沙夏ちゃんには苦しい思いをさせてしまい、家族にもつらい思いをさせてしまいました。
ただ、私のことが心配で病院に駆けつけたけれど会えず、「千瑛まで連れて行かんでよー!」と仏壇を拝んでいたという父の話を聞き、両親に私と同じ思いをさせずに済んだので私だけでも生きていて良かったのだと思えました。

今は、同じ経験をされたかたの本やブログなどをたくさん読み、これからどう前を向いて行けば良いのか少しずつ明かりが見えています。
夫にとっては長女の存在がすべてのようですが、長女の存在は私にとっては傷口にセロテープを貼って塞ぐようなもので、適切な薬は夫が塗ってくれています。

少し報告しておこうと思い、書き出したら長くなってしまいました。最後までお付き合いくださったかた、ありがとうございます。

死産だったので戸籍には残せませんが、私は2児の母です。みなさんにも、これからも沙夏ちゃんのことを忘れないでいただけたら嬉しいです。

公開写真は、死に顔なんて見たくないと思われるかたもいらっしゃるかと思うので隠してしまいましたが、本当に可愛い子でした。美人に成長しただろうなと思います。可愛すぎて可愛すぎて、私はスマホのホーム画面に設定してしまいました。
また落ち着いたら、沙夏ちゃんの写真を見ながら話を聞いていただけたらと思います。可愛いのでたくさん自慢したいです。